プレ老後生活 夫婦二人暮らしとなりました

これから退職するかたや若い世代の老後に向けての参考になれば嬉しいです

母親のこと なかなか難しい母娘関係 

以前の記事の最後のほうでチラっと書きましたが 今日は母との関係について書いてみようと思います。

母と最近、わりあい良好な関係が続いていますがその変遷について。

結婚するまで

私はひとり娘でしたがそんなに母から愛情をかけてもらったという記憶がありません。母とふたりで旅行したこともないし、ふたりでどこかに遊びに出かけたということもあまり記憶にありません。しかしすごく束縛が強く息苦しかったです。日記や手紙はぜんぶ見られていたし、いつも怒られていたし(母の機嫌に左右される)子ども時代は常に母の顔色をうかがいながらビクビクしました。今でいう毒親じゃないのかしら・・・。とにかく早く この息苦しい家から出たい!と常々思っていましたね。これには就職して家を出るか、結婚して家を出るかの二択でした。ちょうどそのときに交際していた夫と結婚することになり(いろいろ悶着ありましたがここでは割愛します)ようやく家を出れることになりました。

結婚してから

ふつう、結婚しても自分の実家の近くに住みたいっていう娘さんが増えていますが、その時の私は真逆でした。(笑)できればあまり顔をあわさないで済む遠くへ・・・。夫の通勤上、同じ近畿圏に住んでいましたが。

結婚して衝撃?を受けたのが 夫の母についてです。こんな穏やかなお母さんっているんだ~、って。とても優しく上品なお姑さんでした。息子である夫との関係も穏やかで私に対しても穏やかで優しくて。自分の母より夫の母といるほうが私もリラックスできるほどでした。

母とはすこし離れたところに住むことができ、ちょっとホッとしていましたがひと月に一度は我が家にきていましたね。電話もよくかかってきていました。まぁこれぐらい一緒に住んでいたころを思うとぜんぜんマシでしたけど。

急転直下

急に実家の父が亡くなったんです・・・。ここからまた大変な時期に入りました・・・。私の人生でいちばん辛い時期の突入とでもいいましょうか。

「ひとりになったから同居してほしい」

「同居できないなら、親戚の〇〇ちゃんを養女に引き取って一緒に住んでもらう」

は!?

私と一緒に住みたいから こんなこと言い出したのだと思いますが。こう言えば同居してくれるばずと強くでたのだと思います。いや~久しぶりに思い出して文字にしましたが、書いてるだけで腹がたつわ~プンプン!!

夫は転勤願をだし、住んでいたマンションも売却し、子どもたちは転校し・・・いや書いてみると改めてすごいな、母親の毒パワー。こうして母との同居が始まったのでした。地獄の四年間のはじまりでした。

母との同居

少しは、今ならうまくいくかも・・・お互い歳も取ったし。

なあんて甘かったです。年をとってもいくつになっても娘は娘だった・・・。

自分で家事も采配できず、私もストレスがたまってきました。でも母ものんびり暮らしていたのに急に4人も増えてイライラしたようです。娘、孫はまだしも夫はまるっきりの他人なんですから。またうちの夫も気がきくほうじゃないし、DIYも苦手だし元来のほほんと生きてきた人なので母からしてみたら「男らしくない!」と映ったようです。

家族みんなが疲弊していきました。そんなあるとき・・・

別離

決定的なことがおこりました。詳細は書けませんが。私も「このままでは身の危険を感じる」と思い、夫と相談して実家を離れることになりました。母には「今週末にさっさと出て行って」と理不尽なことを言われましたが そこは夫が冷静にとりなしてくれました。

大急ぎで不動産屋さんをまわり、うまい具合に中古マンションの購入をすることができました。ここのマンションには知り合いが数人住んでおり、評判は聞いていました。学区も問題なく駅まで近いことが決め手となりました。その間、いろんな手続きや簡単なリフォームをするための業者さんとの打ち合わせなど忙しかったです。もちろん、その間もまだ実家住まいなので母の機嫌は超悪いままです。針のムシロの生活でしたね。涙涙。

そして4年間の同居を解消してようやく再度自分たちだけの家で過ごせることになりました。

一人暮らしになった母

私たちが実家をでて丸8年間、一度も会いませんでした。

友人たちに言うと すごいな~と言われます。母には新しい住所も教えてませんでした。でも近くには住んでいたんですよ。でも偶然ばったり会うこともまったくなかったです。ただ、私の友人から「この前、犬の散歩に行って お母さんの家の前を通ったらお花に水をあげてたから少しおしゃべりしたよ。お元気にしてはったよ」とか、叔母からの近況報告で母の今を聞いてはいました。まぁ連絡がないのは元気でいるんだわ、なにかあったら親戚から連絡があるはず・・・と思ってました。

友人からは驚かれるのと同時に「お互い強いよねぇ。私だったら孫の可愛い時期を見れなくなるなんて辛いわ」って言っていましたが。

そんなこんなで丸8年も音信不通の日々が続いたのでした。

長くなりましたので続きは明日。